インドネシアのアチェ州を知っていますか?

インドネシアからの独立を目指す武力勢力による内戦があって外国人は入れなくて怖いところ?

イスラム教の法律があるせいで公開ムチ打ち刑をやったり、女性は全身を覆わないと捕まるヤバいところでしょ?

大きな地震と津波があって被害が破壊的にすごかったところでしょう?

そんなイメージを持つあなたの

人生が変わるかもしれない

アチェツアーをご提案!

まずは3分の動画を
本ページ内でご覧下さい!


このアチェツアーに
参加すると解明する秘密


  • 秘密1:なぜインドネシア独立記念塔に純金の炎という巨額の寄付をしたアチェ人がいたのか?
  • 秘密2:なぜジャカルタを象徴するファタヒラ広場の命名の由来を知る人がほとんどいないのか?
  • 秘密3:なぜアチェはインドネシアのためにオランダと戦ったのか?
  • 秘密4:なぜインドネシアを世界が承認するきっかけになったアチェのラジオ放送局が有名でないのか?
  • 秘密5:なぜインドネシアが初めて所有した2機の飛行機をアチェの人々が寄付したのか?

アチェってどこ?

西から東に長く伸びた島嶼国のインドネシアで、最も西にある大きなスマトラ島の、さらに最西端に位置する州がアチェ州です。

アチェ州の広さはどれぐらい?

アチェ州の面積は大雑把に約58,000平方キロメートル。日本の九州と四国を合わせた約55,000平方キロメートルよりもまだ足りない広さを持っています。

アチェ州の3大観光エリア

アチェ州の見どころは多いです。しかし、初めてアチェに訪れる場合で滞在期間が5日~2週間程度の短期間であれば多くても次の3つのエリアに絞るのがお勧めです。

  1. バンダアチェ:アチェ州の州都がバンダアチェ市です。アチェ州で最も大きな都市です。
  2. サバン:バンダアチェからすぐに行ける海のリゾート地として知られています。
  3. タケンゴン:コーヒーの産地として有名な、湖のある涼しい高原都市です。

この3つのエリアは船に乗る必要があったり、距離が離れていたりするので、移動には少し時間がかかります。

エリア1

バンダアチェ

バンダアチェはインドネシア、アチェ州の州都です。アチェ州はインドネシアがある前にはアチェ王国でしたが、インドネシアができる前はオランダに強制統治されました。アチェ王国時代のバンダアチェはバンダル・アチェ・ダルッサラームと呼ばれていましたが、オランダがクタラジャ(王の町)と命名し、インドネシアに併合してからもしばらくはクタラジャと言っていました。

この町にあった王宮はオランダが破壊してしまったため、現在では見ることができません。わずかに残る王が作った建造物、誘導して築かれた河川、道路の位置、王の墓などから当時をしのぶことができます。

バイトゥルラフマン大モスク

バンダアチェ市の中心にずっしりと建つ象徴的なモスクです。700年以上前、アチェ王国時代に建設されました。ここに来なくしてアチェに行ったとは言えないほど象徴的な観光地です。運が良ければミナレットに登ってバンダアチェのまちを見下ろすことができるので是非試してみて下さい。

建造年は1296年説と1612年説がありますが、アチェ王国を植民地化しようとしていたオランダが1873年に放火し一度焼失。大切な礼拝の場を失った人々の激しい抵抗があったため、オランダが再建しました。その後、インドネシアの一部になってからも増築や改築を重ね今日の形になっています。現地様式、コロニアル様式、アラブ様式が融合した独特の美しさがあります。

2004年の津波のときには一部破損したものの人々の避難所になり活躍しました。

津波発電船

2004年の大津波で海辺から5キロ離れた集落に流れ着いたディーゼル式の発電船です。発電船は電力公社の所有で重さはなんと2600トンあります。2度の大きな波で2度流された末、ここに止まりました。

もともとはカリマンタン島で稼働していたので2002年、バンダアチェに移転後もカリマンタン島から来た人々が主にここで働いていました。当日働いていた約6人は津波が来る前の大地震の後、船を降り助からぬ人になってしまいました。

そんな中、アチェの契約社員のひとりだったファイサルさんがこれから出勤し船に向かおうとしていた時、大地震と大津波があり、彼が船に行くのではなく船が家の家にやって来た状態になりました。

船内の展示室に入ることができれば、ビデオの中でファイサルさんが語るのを見ることができます。

エリア2

サバン

バンダアチェの北にあるウェー島(約120㎢)にサバン市があります。この島はアチェ王国の王によって犯罪者の島流しのために使用されたことがあります。そしてオランダ植民地時代から1970年代までインドネシア中のハッジ(メッカ大巡礼)団がここで事前学習をして出発していました。

19世紀にスエズ運河が開通すると、この辺りはヨーロッパからアジアへ向かう重要な通り道となりました。そのためオランダ植民地政府が漁村だったウェー島に港を建設し、自由港として発展しました。第二次世界大戦前まではシンガポールよりも重要な海港でした。

1942年に日本が侵攻するとサバンの自由港は閉鎖され、日本軍の基地となり軍港となりました。今でも日本軍による集団虐殺地の石碑や日本軍の軍人墓地が残っていますが、日本軍の軍事施設は連合軍による攻撃で多くが破壊されました。その後、日本が敗戦しインドネシアが独立しましたが1950年にオランダが返還するまでサバンはまだインドネシアの一部ではありませんでした。

インドネシアの時代になってからサバンは興亡を経て、後に自由港ではなくなりました。2004年の津波による被害がほとんどなかったサバンは被害の酷かったアチェ州各地への支援基地として活躍しました。自由アチェ運動(GAM)とインドネシアによる紛争がありましたが、津波をきっかけに和平が訪れてからは旅行者にとってあこがれの観光の島になっています。

インドネシア最西端ポイント

サバンの象徴にもなっている観光地です。

広大なインドネシアの「西から東まで」を言い表す時に「サバンからメラウケまで」と言うことがあります。初代大統領が好んで使った言い方であり「サバンからメラウケまで」は歌にもなっています。サバンはアチェ州にあり西端で、メラウケはパプア州にあり東端になります。

ここでは運が良ければ海に面して建てられたモニュメントに登って、インド洋の濃い青々とした広がりを見ることができます。また、森の中にあるので野生の猿が多いです。

数々のビーチ

サバンにある数々のビーチは透明度の高いエメラルドグリーンの海、白い砂浜、そして青い空が一体となった美しい自然景観で訪れる人々を魅了しています。珊瑚礁が美しい海底を飾り、カラフルな魚たちが泳ぐ姿はシュノーケリングやダイビング愛好者の楽園になっています。

ビーチ沿いには地元の文化や料理が楽しめるお店が点在し、海を見ながら食事を楽しむことができます。

かつて数千あったと言われる日本軍のトーチカのいくつは海沿いにあり、見学できるようになっています。

エリア3

タケンゴン(ガヨ)

中央アチェ県の県都タケンゴンはコーヒーの町で有名です。この辺りはガヨ民族がガヨ語を話すガヨ地方です。ガヨコーヒー(アチェガヨコーヒー)は世界的に有名で、各国からのバイヤーが買い付けに訪れます。コーヒー工場によっては製造過程を見せてくれるところもあります。

標高約1200メートルの高原地帯にあるこの町は、インドネシアとは思えないほど涼しいです。町の名物はこの町の真ん中にある湖にしか生息しない淡水魚のデピック料理です。湖の近くには古代人が住んだ洞穴があり見学できます。

ガヨの地もアチェ州の他の地方と同じようにオランダ植民地時代や対インドネシア抵抗時代を経てきました。絶景を味わうことができる見晴台は実はインドネシア軍の駐屯所跡地を利用したものです。

コーヒー工場

販売も行っているコーヒー工場では、コーヒー豆の仕分けなど工程を見学することもできます。仕分けは丁寧な手作業で行われています。

コーヒー園のカフェ

コーヒー園の中にあるカフェでは、木に実るコーヒーの実を見ながらコーヒーを味わったり、食事をすることができます。実をもぎ取ってかじったり、家に持って帰ることもできます。

ツアー参加者様の声

一足先にご参加された方の
お声をいただきました!

アチェ滞在の不安が吹き飛び楽しい時間を過ごすことができました!
(東京都:Iさん)

皆様の協力無しで、我々だけではとても訪問できない場所もご案内いただけて、大変充実したものとなりました。

美味しいご飯のお店やお土産屋さんもご紹介いただき、アチェ滞在中終始楽しい時間を過ごすことができました。

アチェへ行くと言ったら会社の皆は反対したけど実際は最高でした
(ジャカルタ:森田さん)

ジャカルタで働く僕が見るインドネシアの様子は、僕の想像とは違っていたので、インドネシア語のレッスンで見聞きしたアチェへ行きたいとずっと思っていました。

町は安全で人は親切。自然が楽しめて、食べ物もコーヒーも美味しくて、アチェ行きを反対した会社の皆の想像とは真逆のアチェを心から満喫しました。

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アチェツアーは

こんな方にオススメです!

  • ありきたりでないインドネシアを体験したい方
  • 現地の生活習慣・宗教を尊重できる方
  • ありのままのアチェを受け止められる方
  • 何でも試してみたいグルメな方
  • コーヒー好きな方
  • 自然の景観が好きな方
  • 歴史好きな方

よくあるご質問
Q&A

Q

集合場所のバンダアチェ空港まではどうやって行けばいいですか?

A

ジャカルタのスカルノハッタ空港からガルーダインドネシア航空のバンダアチェ行きの直行便で来られるのが最も安全で効率も良いのでお勧めです。約3時間のフライトです。日本からジャカルタまでは、地方にお住まいの方はまず地方の空港から飛行機で羽田まで行き、羽田からジャカルタ行きの直行便に乗ります。羽田⇔ジャカルタの直行便には全日空(ANA)とガルーダインドネシア航空のものがあります。飛行機のチケット代はツアーには含まれていませんが、どの便に乗ったらよいか、どのように購入したらよいか等は飛行機のチケットを扱う日本の旅行会社に問い合わせることができます。ジャカルタの空港で宿泊が必要になることが多いので、もし何か迷われることがあればアドバイスを差し上げます。お気軽にご相談ください。


Q

アチェ州ではクレジットカードが使えますか?

A

クレジットカードはほぼ使えませんので個人的なお買い物にはインドネシアの貨幣(ルピア)の現金が必要です。またアチェ州にある銀行はシャリアー銀行(イスラーム式銀行)のみですので、インドネシアの従来銀行の口座を持っていても銀行の支店はありません。従来銀行のATMは常に使えるとは限りませんのでご注意ください。日本円をお持ちになれば私どもが両替商にご案内します。


Q

アチェでの行動や衣服などで気を付けることはありますか?

A

アチェ州ではシャリーア(イスラーム法)が採用されているので、注意した方がいいことがあります。現地の人々に敬意を持っていればとても簡単にできることばかりなので、ツアー参加前にアドバイス差し上げます。


Q

アチェ州の気候はどんな感じですか?

A

バンダアチェやサバンは晴れていれば大変暑く最高気温が33度ぐらい。最低気温が23度ぐらいです。雨が降ると気温は下がります。1年は大雑把に雨季と乾季に分かれ、日本の春や夏にあたる時期は乾季です。雨季に比べると降水量が少なく、海の波が比較的落ち着く時期になります。気温だけでなく湿度も80~90%という熱帯雨林気候なので、日中はあまり動き回ると疲れてしまうこともあります。一方、タケンゴンは高原に位置するため、気温は15~23度ぐらいです。山間に位置し湖がある影響で霧が発生する湿度100%の状態や雨天になることも多いです。

Q

ツアーの中に昼食と夕食は含まれているようですが、朝食は含まれていますか?

A

朝食もツアーの中に含まれます。お泊りのホテルで召し上がっていただく予定です。

Q

ツアー中はどんなホテルに泊まるのですか?

A

ホテルはツアーを通してインドネシア式の標準的なものに泊まります。設備は次のようなものになります。

1.ベッド
2.タイル床(タイプによっては木材の床)
3.インドネシア式バスルーム
*水浴とトイレが一体式、トイレットペーパー使用不可
*洗面台はないことがあります
*バンダアチェとサバンでは温水がないことがあります。タケンゴンでは温水あり。
*バスタブはありません
4.クーラー(タケンゴンではないことがあります)
5.フリーWiFi
6.コンセント(インドネシアの電圧は220V、プラグは丸ピンが2本のCタイプ)
7.タオル、せっけん

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